1 朝日の家
「死を待つ家だ」。施主は言った。
「あと15年で死ぬ。その死を待つ家だ。建築は15年もてばいい。小さくていい」
「場所は見つけたんだ」。東に向く半島の土地だった。「東に向かっている土地がよかった。夕日は嫌だ」。
「おれが死ぬときには、夕日じゃなく朝日がいい。海へ向かって、船をびゅーっと出して死ぬんだ。
死ぬとわかったときにはな」
これが施主の注文だった。日の昇る東の海がいい。かれが選んだ土地は、ここだ。
死を待つ家
私たちが捉えた海。敷地の両側にみえる半島を抱え込む
敷地の前には、幅4メートルの土と砂利の道。その向こうは、パークゴルフ場(近くのお年寄りが一日に数組、のんびりとまわっている)。その防波堤の下に海岸があった。普通に建てても、海はわずかしか見えない。
潮の満ち引きは、季節とともに、時刻とともに変わるが、敷地から「波」までの距離は約150メートル
床の高さは、水面から約8.6メートル。座った時にちょうどよい波の見え方をする高さ
「床を高くあげるようなものになるんだから、あなたたちがいいいだろう」と、私たちに声がかかった。
すぐに、その海辺へ、海岸へ、向かった。こんな地図のなかを、片道180キロメートル。期待に胸をふくらませて。
敷地のある海岸は、この丸い地図の外にある。この丸い地図は、日本で、私たちが仕事をしてきた土地。
今回の仕事は、その円から出た!神々しい鈴鹿山脈と伊勢の山あいを抜けて行く
渚へ
早朝の光が多角形の窓に差しこむ。窓の重なりの上に、さらに光と影が重なって、建築全体で朝の音楽を奏でるよう
2 海
敷地から波までの距離、150メートル。砂浜の広がりは7キロ。海は果てない。
私たちが定めようと思ったのは、波の見え方のおもしろさだった。単純に海が見えることとは違う。
波を見るのだ。
波。この海は良い波がくるので、冬でもサーフィンを楽しむ人が来る
「お独りで?」と私たちは聞いた。「独りだ」。「時々、友だちを呼びたい」。そしてまた独りに戻り、「波の音を聴きたい」。
なんとロマンチストだろうか、とお思いだろうか? 実はこの施主、ロマンチストというより、恐れられている人だ。この施主は、“怒る”。怒りの度合いが違う。かれとつきあいのある人は、男でも女でも、年上も年下も、仕事の関係でも友だちでも、一度は必ずかれを怒らしたことがある。「ばかやろう」と。
かれは、話を聴くとき、人の顔をじっと見る。人がごまかしているものがあれば、とりつくろっているものをぶち破る。休戦状態は破れる。“こいつは、自分の言ってることに確信を持っているか”を、かれは見ている。
「建築家はすぐ横文字を使う」とかれは言う。「使った途端に聞いてやる。そのろくでもない横文字の意味はなんだ? たいてい答えられん。自分でなにを言ってるのか、わかっちゃいない」。
かれはほんとうのことを言う。人とかれとの間になにも置かない。直接となり合う。時に純粋だ。かれが仮に一人の女を愛したら、女は、怒りにおびえるのではなく、むしろ、その純粋さに答えられないことに傷つくだろう。かれは調整しない。順応しない。歩調を合わせるなんてしない。かれは決めたい。いいか、悪いか。やるか、やめるか。3日先の予定なんかいれない。「あなたとつきあうなら、わたし、3番目がいいわ」。昔好きだった女にそう言われたそうだ。人間づきあいというより、掟(おきて)のようなものがある。喩(たと)えるなら、無法者(アウトロー)の持つ確信に近い。一つの実在と一つの掟が切り離せないのに似ている。かれを貫いているのは独特の死生観に直結したなにかだ。
かれは、「海を見るのだ」という内容と床面積の確認をしたあとは、なんの細かい話もしなかった。こう言うだけだ。…「まかす」。
「おれが口出すと、ろくなことにならんのさ。おれはそれを知っている」。話を通しておいた方がいいだろう詳細を、かれのところに確かめに行っても、「まかす」。ただそれだけだ。
その注文が、死を待つ家であったこと、生が尽きるとき、夕日でなく、朝日を見ていたいと思ったこと、一人の人間が発したこの言葉の真実味について、思い浮かべて欲しい。
だれも知らない海岸の、だれも知らない海辺へ向かい、自分のヨットを出すときまで、その命を係留しておきたい。
その家を設計する。
私たちは、どう考えたか。
それは、家というより、…海の向こうの果てまで、思いを馳せる、かれの渚を、つくることなのだ。そう思った。
午前の風景。光が差し込む。これらは、「波を持つ窓」。左の奥に“寝転んで”波を見る台がある。
窓の形は、人が 座ったり、寝転んだり、立ったりする姿勢に合わせて変化している
だから、この家は波を見る。波が、家の内部にあるのだ、そういう思いにさせる。
単に、海に開いているというだけじゃない。海岸が150メートル先にあるからといって、ただ遠くを見るということだけで済まさない。私たちの考えでは、家が“開口”する海があるはずだ!
波を引き寄せる形がある。波を持つ窓がある。この家には。波は、…一日として同じではない…。
家の扉を開いて、ああ今日はこんな波が見える、と驚く。波の見え方のおもしろさを考えていた。
どうやって人は波を見るのか?
…動かない洋々とした青じゃない。生まれ出てくる潮、泡、砂粒。定かでない波、どこにも帰属しない、かれの孤独と静けさを、家の中に捉えていたかった
だれもが知っている海という、漠然とした感じではない。水平線じゃない。海とは、“波の見え方”なのだ。
人は、海の意味を見たい。
建築はその意味になる。
3 青い蝶
敷地の大きさは133坪。家は22坪。東へ向く家である。
私たちが考えた人間の姿勢を言おう。
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波をロッキングチェアーに座って、揺られて見る。
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食事やワインを飲みながら、見るとはなしに見る。
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ソファーにもたれて、沈み見る。
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歩き回りながら、身体の横でいつも見る。
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友だちと腹がよじれるほど笑い、語り、見る。
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寝転んで、波打ち際を、見る。
これら具体的な「姿勢」と、それを行うところを、形にまとめる。その方法は、この家を表す“総合的な一枚”によく出ている。それはこんな絵だ。
総合的な一枚を詳しくすると、平面図はこうである。
どの姿勢も違う → 波を捉える高さが違う → 窓の形が違う → 波の見え方が違う
それでいて、全部で一つである。その中にいると、波が、眼や胸や肩に焼きついてゆく。
平面形は、波を引き寄せるV形をしている。 波に開いてゆくとも言える。Vの壁にスリットが切ってある。
Vの境界のスリットを通して、寝るときも、食事をつくるときも、波を見、波音を聴く。(今回、スリットは、内部の象徴的な壁に使ったのだった)
この形は、この施主の注文、「死ぬときには海へ向かってびゅーっと船を出して死ぬんだ」という一文からできている。
想像の海の中では、太陽は一つでなくてもいい。
いっぱいの太陽の中にいる。実際に海の彼方まで行けないというそれゆえに、人は幻想を持つ。その精神の航海性を象徴する。そういう家にするために、かれが死への恐れを解くために、建築に“錨”を掲げた。
船の錨(いかり)を壁に掲げている。二股の錨を壁に吊るし、四つ股の錨を、一種の犬走りのような土台の上に固定している。怒りつづけて生きてきた男の象徴である
二股の錨を壁に
四つ股の錨を地面に
怒りつづけて生きてきた無法者と、錨を上げた船出を、象徴する。
錨を解いたかれの姿は軽い。その夢を蝶とする。ロッキングチェアーに揺られている男の姿を蝶とする。
青い蝶は海の象徴だ。自由に飛び立つものの象徴だ。その青い羽根を窓の形とした。
そこに私たちが見た青とは、海の青だった。
海の底から、海面の裏を見上げたときに見る、あの波の揺れる光でもある。
東から昇るいっぱいの太陽.
海と蝶
輝く海面へ昇ってゆく人間
海とはなんだ? 波だ。死ぬときには、朝日に向かってびゅーっと船を出して死ぬんだ。そのとき、想像の太陽は一つじゃない。いっぱいある。幻想の中では男は蝶になる。青い蝶の羽も波だ。海の青だ。それらを下から見上げている海のきらめきだ。これらが形になっている。
この形を、たった1つの部屋と海との間に生きる人間の姿へ合わせてゆく。
ロッキングチェアーはVの頂点に置く。かれの海全体の中心に。
食事やワインは壁から張り出した板でする。どこからか流れて来た小さなデッキで。
ソファーにもたれて波に包まれる。あぐらをかいて、寄せて返しているものの前にいる。
歩きながら海をつかむ。次々と展開する波を。
友だちと。だれもが楽しむ夏のひととき。
寝転んで波を見る。まどろんで。
家の中心の窓は2つ。2つは重なっている。
2枚の壁が重なっている。そこに空いている2つの開口、形が違う。ロッキングチェアーと海の果てとの間で、 2つが重なる。2つが1つになる。
両手で濡れた布をしぼるように、2つの形の違う開口が海の青い風景をしぼる。水滴がこぼれるように、それらの形の中から、波が出てくる。
今も、時々思う。この施主は、なぜこんな注文ができたのだろう、と。友だちの死に際して思ったのか、潜在的なかれの生がそう言わせたのか、私たちは問わない。ただそういう注文という事実がある。私たちはそれに応えるのだ。それが建築家の可能性なのだ。未知な人間どうしが織りなす形がある。2つが1つになる。その形の中で、ものごとはいつも変化する。波打つ、ように。波を見て、この建築は人間の感性を拡大する
2つの重なりの間に、“ローソク立て”をつくった。海と日の出と波と、かれの席とをつなぐ線上に、夜明けに火をつける。火は、ある日の、日の出を待っている。
午前6時12分、夜明け。中心の二重の窓の間に、ローソクの炎が揺れている。まるで太陽を待つ儀式のようだ
中国の紀元前の思想家、荘子(そうじ)の文章を思い出す。 「いつか、荘周は夢の中でチョウになっていた。ひらひらと舞うチョウの身に、気持よく満足しきって、自分が荘周であることも忘れていた。やがてふと目が覚めれば、まぎれもない荘周である。はて、これは荘周が夢でチョウになっていたのか。それともチョウが夢で荘周になっていたのか。きっと区別があるはずだ。これこそ『物化』(万物の変化)というものなのだ」(福永光司・興膳宏訳)
私たちが狂っているんだろうか。施主が狂っているんだろうか。現実だろうか。夢だろうか。
2月14日、夜明け。午前6時12分、から、7時6分まで、私たちが見た信じられない54分間を見よう。東は日が昇るところ。はじまりである。日の出とは、新しい日になること。
午前7時6分、日の出。二重の窓の中央から日が昇る。建築が太陽をとりこんだ!
「死を待つ家をつくって欲しい」、この注文からできた家は、毎日、「はじまり」が見える家だった。
海と蝶の窓。現実だろうか、夢だろうか
建築データ:「 死を待つ家 」
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所在地:三重県伊勢市
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敷地面積:440.29㎡
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延床面積:74.52㎡
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構造設計:北條建築構造研究所
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施工:大国建設
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写真:鳥村鋼一